2020.7.21

<Y’sの歴史> 第三章 Y’s 進化のとき

米田 龍平

ながらく時間があいてしまいました。すみません。

ようやくこのブログを完結できます。

第1章では「Y’sができるまで」と題して、僕がY’sを設立するまでを、
第2章では「Y’s創業期〜成長期」ということで今の形に至るまでを書かせていただきました。

この第3章のブログに至るまで第2章から半年を要してしまいました。
理由は二つ、ひとつは

「僕自身が経営とは何か迷走し続けてしまったこと」

もう一つは

「新型コロナウイルスの影響で、働くということを見直す機会があったこと

です。

迷走から得たもの

間違った!

前回のブログを書いた頃(2019年11月頃)、僕はクリエイティブ、すなわちグラフィックデザインやwebサイト、動画を制作する事業部のチーフとして活動をしていました。結果を出そうと突っ走っていた一方でいつしかある考えに囚われるようになっていました。
僕がやりたいことは、「手段を選ばず世の中に素晴らしいクリエイティブを送り出すこと」か、それとも「この会社を大きく強くするために売上を上げること」か、、、そう結論を分け、どちらかしかできないと思い込んでいたんです。

答えは言わずもがな、「どちらもやれるようになる」ということなのですが、当時の僕は焦りからか後者を意識するようになっていました。
どうしたら目標に達するのか、どうしたら生産性は上がるのか、そういうことばかりを気にかけ、空回りしている自分にも気づかず、まったく結果が出せない状況が続いていました。


そんな夏のある日、僕は役員二人と話す機会があり、こう指摘を受けました。
「龍平さんは、今、仕事楽しいですか?」

あまりこういう質問をされたことがなかった僕は、ドキっとしたと同時に、それを誰かに言ってもらうことを待っていた気がしました。

僕は正直に「楽しくない、でも悔しい。」と伝えました。

いつの間にか、自分がやりたかった「世の中にクリエイティブで貢献する」ということを忘れ、目先の利益と自分の立場だけを気にして仕事をしていたのです。他の二人はそこに気づき、勇気を持って僕に指摘をしてくれました。

そして、一度クリエイティブのチーフを降りることを決め、もう一度、デザインを通じて何ができるのかを考えてみようと決めました。
しかし、この時点で新たな間違えが自分の中で発生していました。
それは仲間に対しての無意味な「遠慮」でした。

人生できないことだらけ! 素直になろう

それは、ずっと会社を存続させてこられたという自分の思いとは裏腹に、まだこれくらいのことしかできないのかという己の無力さを感じ、役員はじめ仲間に対して一歩引いて仕事をするようになったのです。(つまり、いじけてたってことですね 笑)

自分ができることはするけど、できないことは任せる、任せたら必要以上には発言しない。邪魔はしない。そんなことの繰り返しに陥っていました。

そんなこんなで、しばらくの間、縮こまり続けていたわけですが、そんなとき、会社設立からずっとお世話になっている方に相談させてもらう機会があり、自分の気持ちを素直に打ち明けました。

もらった言葉は
「会社は自分の子供みたいなもの。どんな方向に進んでも、最後まで面倒みなきゃダメ。」
「みんなが自信を失って諦めようとしても、最後まで自信を持って立ち続けるのが役目。」
という言葉でした。

自分の中にあったモヤモヤと、小さなプライドみたいなものが同時に吹っ飛んだ気がしました。
自分の想いや考えをもう一度、みんなに伝えて、自分が一番素直になり進もうと切り替えることができました。

一番やりたいことは、
「仲間に対して愛情を持って接し、教育が充実した会社にすること」
「一緒に仕事がしたいと思われるクリエイティブな仕事をすること」
この二つ。
逆にこの二つができないのであれば、Y’sを作った意味がないと言い切れる要素です。
言い換えれば、会社の文化を作ること、クリエイティブな制作を徹底すること、僕はもう一度この領域にチャレンジしたいということを告げました。

そこから先、役員たちとの長い話し合いの中で、それぞれがやりたい分野で最大の力が出せるようにするため、もう一度、役割分担を見直すことにしました。

そして、下記の変更を決断しました。

【第一の決断】職位名称の変更

今までは僕が指揮系統のトップダウンとデザインの教育を兼任していましたが、これを機に、僕はチーフクリエイティブオフィサー(CCO)ということで、制作部門のクオリティ管理と企業文化づくりに専念することになりました。

そして、今まで副社長だった中館がチーフエグゼクティブオフィサー(CEO)ということで、経営戦略に専念、執行役員だった鈴木がチーフファイナンシャルオフィサー(CFO)ということで財務を中心に人事&広報&採用統括として、三位一体でY’sを前進させるため役割を明確に分ける決定をしました。

(※ 誤解のなきようにですが、引き続き、僕は代表取締役として変更はありません)

【第二の決断】ミッションの変更

二つ目の決断として、企業ミッションを変更することに決めました。
企業ミッションは
「デザインの力でビジネスを加速させる」
と決めました。

今までは二つの部署がそれぞれの特性を生かし進んできたわけですが、この先、デジタル化する目まぐるしい時代の変化にしっかりと対応できる会社にすべく、互いに足りないものを補い合う体制が必要だと感じました。

今までは納品をメインとした「モノ」を提供するビジネスでしたが、これからはクライアントとともに学び、成長していける関係づくりも含めた「コト」も提供できるビジネスをこころがけていきます。

ここは今後、CEOに就任した中館から詳細をご説明をする機会を設けたいと思っています。

こうして僕は原点に立ち戻り、クオリティ管理と企業文化作りに専念する立場に戻ることができました。素直に生きることの大切さを改めて感じました。助言いただいた方々、そして仲間たちに感謝です。

自粛から得たもの

やってみなければわからない

2019年も終わり、Y’sの第9期が終了する頃には、あれだけ執着していた売上も目標手前まで到達していました。
信じて進んでいけば、僕が売上なんかを気にしなくとも、仲間はしっかりと結果を出してくれるということに、9年も会社をやっていながらようやく気づかされました。


そして、今期は節目となる10期目だ!という頃、新型ウイルスによる緊急事態宣言が発令されました。このことは、Y’sや僕にとってとても大きな転換点となりました。

3月某日、全社、リモートワークを決定し、全員自宅での作業となりました。

急に外出を控えることになり、生活は一気に変わりました。
仕事においては、準備もなくリモートワークに切り替えざるを得ない状況となりました。

さぐりさぐりとはいえ急遽はじまったリモートワークであるため、最初はとても不安を感じました。みんな仕事ちゃんとするかな?とか、モチベーションは続くのだろうか?など。

僕が担当する制作部門では、しばらく仕事をしていく中で、思わぬ方向に向かっているのを感じるようになりました。
テレビ電話での会話とチャットでの連絡がメインとなったことで、限られた時間の中で必要な情報をしっかりと伝えること、文章であれば尚更、正確かつ簡潔に伝えようと、連携がスムーズになりました。

最初に考えていた心配など微塵も感じず、無駄な時間や移動がなくなったことで、こっちが止めなきゃいけないくらい仕事の量が増え、同時に効率が上がりました。手が空いたら声をかけ、自分で判断できることを増やそうとする姿勢は予想以上でした。
なぜ、今までこの選択肢がなかったのかと知らされました。

また家庭においても、僕個人としては小さな娘がいるため、自宅作業が増え、家族の時間を増やすことができました。子供がはじめて歩き出したり、しゃべりだしたりするタイミングに立ち会うことができてほんとに幸せでした。

会社の課題となっていた、妊娠、出産、育児、介護と仕事との両立を考える貴重な機会となり、この状況はウイルスによる影響が収まった後も続けるべきだと思いました。

このリモートワークで学んだ教訓は「やってみないとわからない」ことです。
固定観念によってまだまだ見直すことがたくさんあるのだなと感じました。

【第三の決断】リモートワーク推奨

ここで、今後もコロナウイルスの第二波、第三波のおそれもあることから、ただちに役員会において、「リモートワーク推奨企業」を決めました。これもまた仲間を信じていないとできないことでしたがかなり早く決断に至りました。

この9年間で得たもの

人生は楽しくて大変だ!

様々な決断をしている間に、あれよあれよと10期目も7月半となってしまいました。

会社を立ち上げてから10期目を迎えられることに心の底から感謝の気持ちでいっぱいです。
これは、本当に、ほんとーーーに、たくさんの仲間とクライアントの皆さんに支えられてきた結果です。

何も知らなかった若造が東京で働きたいからと言って上京し、
好きなことを見つけたからと言ってデザインをはじめ、
一旗あげたいからと言って会社を起こしました。

周りに迷惑ばかりをかけ続けてきたことは間違いないですが、一つだけ自信を持って言えるのは常に人生を楽しんで来たことです。日々なんとかなると前だけを向いて生きてきた分、ほんの少しだけ周りの人を笑顔にさせることができたと感じています。

僕が思う仕事のあり方とは「楽しく生きる」ためのツールであるべきだと思っています。
そして会社はそれができる場所だと思います。
たくさんの人を幸せにする場所。家族を幸せにする場所。仲間を幸せにする場所。新たなアイデアを生み出す場所。自分に自信を持てるように訓練する場所。いろんな役割を担っていると思います。
そういう生きがいと思える場所を作れたことは自分にとっての誇りです。
そして今ではそれが一人ではなく、たくさんの仲間と一緒に歩んでいます。
Y’sはもう誰かの会社ではなくなりました、みんなで進むべき道を決め、みんなで作り上げる会社になったと嬉しく思っています。
これからもY’sの歴史は続きます。その分、また大変だ!と思うことがたくさん起こることでしょう。それでも少しでも長く、少しでも多くの人を巻き込んで、「いい会社だ」と言ってもらえるように頑張っていきたいと思います。

最後に

3つブログを書くのに時間がかかってしまいました。
これで僕のブログは完結です。

9月に2人目の子供(♀)が生まれます。
いつの間にか、Y’sと歩む中で僕は二児の父になっていました。
Y’sも自分の子供と同じくらい大切なので三児ですね 笑

まだまだ世話のかかる子供のような会社かもしれませんが、
応援してくださる方々に恩返しできるような会社にします。
これからもY’sを何卒よろしくお願いいたします。

 

写真:濱谷幸江、大塚敬太

 

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